魂送りの宵に     前編




この人は、もう少し精細な人ではなかったか・・・。


総司がチラリと視線を流した。

「まったくっ! 揃いも揃って!」

屯所の一室で文句をたらたらと口にしながらセイが目の前の袴に
火熨斗を当てている。



今日は朝から天気が良かったので、総司と共に屯所へと足を運んだセイは
一番隊の隊士達から薄汚れた夏の袴をひっぺがし、裏庭一面が埋まる程の
洗濯をしたのだ。
けれど昼前から全身に汗を噴き出させるほど厳しい真夏の陽射しに
耐え切れなくなった隊士達が井戸端で水浴びを始め、気づいた時には
全身濡れそぼち、袴の襞も無い程にずぶ濡れとなってしまった。
セイが洗った袴は未だ乾いていない。

平隊士は幹部のように何枚もの着物を持っているわけではない。
夏用のものと冬用のもの、それぞれ二枚ずつ持っているのが普通であり、
それ以上所持しているとすれば、余程のシャレ者だと言えるだろう。
そして組長同様、一番隊にシャレ者などいようはずもない。

夕刻には巡察に出なくてはいけないというのに、着替えも無く、
このままではずぶ濡れでクタクタの袴を履いて出る事になるのか。
それとも稽古着の袴を着用させようか。
いや、あちらの方が余程にくたびれていて外を履いて歩けるものではない。
やはり濡れそぼった袴か・・・。
それはあまりにみっともないと総司が溜息を吐いた時、背後に立ったのが
柳眉を逆立てた最も頼りになる妻だった。


そこまでは良い。
男達から再度濡れた袴を取上げ、小者まで総動員して全てに火熨斗をかけた上、
巡察までには乾かすと宣言したのは頼もしい。

けれど、今のこの状態は・・・。


井上が苦心して作った揺りかごがある。
祐太の顔を見に来た松本が異人から聞いたという異国の寝籠の話をし、
それに興味を持った井上が不器用ながら作り上げたものだ。
下が歪曲した細長い籠に大きく揺らしても転がらぬようにと木の止め棒を
取り付けた寝籠は、たびたび副長室に置かれる祐太が土方の仕事の邪魔に
ならぬよう、ぐずった時に揺らして眠りに誘うためのものだった。

それが今、ここにある。
そして袴姿で足を崩して座ったセイが、片足だけ伸ばした状態で
その籠を時折蹴っては揺らしているのだ。










確かに今日に限って近藤土方はもちろん、永倉達も揃って非番か隊務で不在だ。
自分もすぐに道場へと剣術の指導に行かなくてはならない。
祐太を預けられる者がいない。

それにしても・・・。

「そんなに心配しなくても巡察までには乾かしますよ!」

ジュッという音と共にセイが首に掛けた手拭いで額の汗を拭いた。
この酷暑の中、ずっと熱を放つ道具を扱っているのだから、
それも仕方の無い事だろう。

「いえ、そうじゃなくて・・・」

「こんなテロテロの袴で隊務に着くなんてみっともないマネはさせやしません!」

フンッと鼻息も荒く言い切ったセイが、足先でトンと寝籠を蹴った。


神谷清三郎だったら違和感は無いんですけど、貴女は私の妻のはずなんですがねぇ。

武家の妻女という枠から時に逸脱する人なのは誰より自分が承知しているけれど
時折ほんの少し遠い眼になってしまうのは仕方がないだろう。
大きな溜息を吐いて総司が立ち上がり、すやすやと眠っている愛息の顔を
覗き込んだ。

「では私も私の仕事をしてきますね」

貴女の母上は逞しい人ですよね・・・。

胸内で呟いて振り返った場所ではセイが正座をしてジッと自分を見上げていた。

「・・・行ってらっしゃいませ、総司様」

静かに頭を下げたその姿は確かに武家の妻の作法。
クスリと総司の笑みが漏れる。

「はい、行ってきます」

セイの頬に軽く触れて部屋を出ながら眠る赤子に向けた言葉を訂正した。

貴女の母上は逞しく、そして出来た方なんですよね・・・。

時折女子とは思えぬ行動を取ったとしても、強く賢い本質が
変わる事は無いのだから。
小さな笑みを残して、道場へと向かおうとした総司の足がふと止まる。

「総司様?」

「忘れるところでした・・・。明日の夕刻は島原で幹部会がありますが
 適当に抜けてきますから支度をして待っててくださいね」

総司の言葉にセイの眼が驚きに見開かれ、ついで柔らかく細められた。

「はい。承知いたしました」




        挿絵 : 小山奈鳩様


                                        後編